私は4月29日に退院した。
「ゴールデンウィーク出かけても大丈夫ですか?」
旦那が言った。先生は
「大丈夫ですよ。」
私は驚きました。
ニコニコと先生は、
「気分転換は必要ですから。あまりお義母さん達と一緒も大変でしょ?」
今までの先生とは明らかに違う、人間味がある。
私は、ゴールデンウィーク、出かけた。秋田県北に。青森まで足を延ばした。
細かいところは覚えていないが、とにかく自由を手に入れたのだなぁ、毎日お風呂が入れる、長女は私に気を遣い、次女は私に手紙を書き、末娘は私に抱っこしてくる。
約半年、長かった。
じいばあちゃんは、私に
「血圧を下げる薬も一生飲むのよ、私もじいさんも。それとおんなじ。特別なんかじゃないのよ。」
「障害者手帳も年金も貰ってるからって恥ずかしいことじゃない、必要なことなんだから。たまたまなってしまっただけ。」
と言ってくれた。
私はありがたかった。
私の母は
「障害者を産んだ覚えはない、年金?手帳?そんなもの必要ない。恥ずかしい。」
と言い続けている。
私は厳しい母から離れたかった。幼い頃から家から出たいと考えていた。死にたいと何度も思った。あんたなんか産むんじゃなかった。と言われ夢には母が私を電車から突き落とすシーンが出てきた。私が発症し父が亡くなり、少しはまるくなったが、やはり偏見は消えなかった。
旦那と結婚して私は本当にラッキーだった。
優しい、愚痴は言わない、悪口も言わない。
私は、弁当と朝食作り、掃除ができるようになった。運転は出来ないので、買い物はばあちゃん。夕食作りもばあちゃんがしてくれた。
私は、その間子供たちの勉強を見たりピアノを見てあげたりした。
あとは、1人の時間何をするかだ。
まずは、ママ友たちにLINEで退院したと伝えた。皆、
「急にいなくなったからビックリしたよー」
「○○ちゃん、Xmas会でマリア様やったんだよ、スゴく良かったよ!」
「また、ご飯食べに行こうよ、会いたいよ」
などなど優しい言葉をかけてくれた。
私は、統合失調症とは隠し鬱っぽくなったとだけ言った。
「薬は飲まなきゃダメだよ!」
と皆言った。
母は、薬など飲むなとまた言い始めていたが。
2ヶ月ほどたった頃、私は車の運転の練習をしていいと言われた。旦那に乗ってもらい乗ってもらい実に8ヶ月ぶりの運転。目が眩しい、が、感覚はすぐ戻った8分くらい離れたLAWSONまでタバコを買いに行った。
数回、1ヶ月繰り返し受診の日旦那の横で運転をし、30分離れた病院に運転をして行った。
旦那は
「もう、安心だね。」
といい、来月から私ひとりで受診に行くことになった。買い物も行ける、自立に近づいた、
やることは増えたが、楽しかった。
自由だ!