昼ごはんは作らない!

退院後、変わったことがある。


じいちゃんばあちゃんの為に昼食を作ることをやめた。


朝昼晩用意するだけでもストレスとの闘い。


私は11時半に余り物で食事を済ませ2階に逃げ込みテレビや録画を見たり本を読んでいる。


調子が悪い時は、お迎えまで昼寝をしている。


ばあちゃんがいない時の為に、カップ麺を常備している。


調子がすこぶる良いときはママ友とランチをする。


私は1時半頃1階に行き洗濯を畳んだり風呂掃除をしたりしてお迎えに行く。


なので、9時から5時半位までじいちゃんばあちゃん旦那とは顔を合わせない。


お陰で退院して3年近く経つが再発の兆しはない。薬も減らないが。


やっぱり人間、睡眠と、ストレスの発散が大事だ。


夕飯作りは面倒だが、手作りを徹底しているので病気にもなりにくい家族だ。


卒業式まであと少しとなった。無事に迎えられますように。


今晩は豚肉ステーキと、マカロニとポテトのサラダ、大根サラダを作る予定。


沢山食べて大きくなーれ、子供たちよ!


昼食を作らない分、夜頑張れるのだ!


皆さんも手抜き、してくださいね❣

自由を手に入れた!

私は4月29日に退院した。

「ゴールデンウィーク出かけても大丈夫ですか?」

旦那が言った。先生は

「大丈夫ですよ。」

私は驚きました。

ニコニコと先生は、

「気分転換は必要ですから。あまりお義母さん達と一緒も大変でしょ?」

今までの先生とは明らかに違う、人間味がある。

私は、ゴールデンウィーク、出かけた。秋田県北に。青森まで足を延ばした。

細かいところは覚えていないが、とにかく自由を手に入れたのだなぁ、毎日お風呂が入れる、長女は私に気を遣い、次女は私に手紙を書き、末娘は私に抱っこしてくる。

約半年、長かった。


じいばあちゃんは、私に

「血圧を下げる薬も一生飲むのよ、私もじいさんも。それとおんなじ。特別なんかじゃないのよ。」


「障害者手帳も年金も貰ってるからって恥ずかしいことじゃない、必要なことなんだから。たまたまなってしまっただけ。」

と言ってくれた。

私はありがたかった。


私の母は

「障害者を産んだ覚えはない、年金?手帳?そんなもの必要ない。恥ずかしい。」

と言い続けている。


私は厳しい母から離れたかった。幼い頃から家から出たいと考えていた。死にたいと何度も思った。あんたなんか産むんじゃなかった。と言われ夢には母が私を電車から突き落とすシーンが出てきた。私が発症し父が亡くなり、少しはまるくなったが、やはり偏見は消えなかった。


旦那と結婚して私は本当にラッキーだった。

優しい、愚痴は言わない、悪口も言わない。

私は、弁当と朝食作り、掃除ができるようになった。運転は出来ないので、買い物はばあちゃん。夕食作りもばあちゃんがしてくれた。

私は、その間子供たちの勉強を見たりピアノを見てあげたりした。

あとは、1人の時間何をするかだ。

まずは、ママ友たちにLINEで退院したと伝えた。皆、

「急にいなくなったからビックリしたよー」

「○○ちゃん、Xmas会でマリア様やったんだよ、スゴく良かったよ!」

「また、ご飯食べに行こうよ、会いたいよ」

などなど優しい言葉をかけてくれた。

私は、統合失調症とは隠し鬱っぽくなったとだけ言った。

「薬は飲まなきゃダメだよ!」

と皆言った。

母は、薬など飲むなとまた言い始めていたが。


2ヶ月ほどたった頃、私は車の運転の練習をしていいと言われた。旦那に乗ってもらい乗ってもらい実に8ヶ月ぶりの運転。目が眩しい、が、感覚はすぐ戻った8分くらい離れたLAWSONまでタバコを買いに行った。

数回、1ヶ月繰り返し受診の日旦那の横で運転をし、30分離れた病院に運転をして行った。

旦那は

「もう、安心だね。」

といい、来月から私ひとりで受診に行くことになった。買い物も行ける、自立に近づいた、

やることは増えたが、楽しかった。

自由だ!